名古屋大学 博士学位論文

都市交通システムの地球環境負荷に関するライフサイクル評価手法

加藤 博和

1997年3月



概要

 近年、地球環境問題に対する危機意識が国際的に急速な高まりを見せる中で、人間活動のあらゆる部分が見直しを迫られている。中でも特に取り組みの求められている問題が地球温暖化である。その原因は温室効果ガスの排出であり、現在は人間活動に起因するもののうち、約半分を化石燃料使用に伴う二酸化炭素排出が占めている。特に運輸交通部門は化石燃料への依存度が高く、その抑制策も効果を上げていない。そのため、交通による二酸化炭素発生は、先進国・発展途上国を問わず増加傾向にあり、今後はさらに増加すると予想される。

 交通施設整備は第一義的には、交通活動の変化に対応し、モビリティを向上させるために実施されるものであり、それは施設利用者や周辺住民などに便益をもたらす。しかし、1)その建設によって環境に負荷をもたらすとともに、2)施設の供用によって交通活動の状況を変化させ、それに伴って環境負荷を変化させるはたらきも合わせ持っている。この変化には、混雑緩和によって削減される場合と、需要誘発によって増大する場合の、2つの相反する側面があり、これらを的確に把握することによってはじめて、交通施設整備を環境負荷の観点から評価することが可能になる。

 交通施設整備が環境に及ぼす影響を計測する既往研究に関しては、交通施設の建設による環境負荷の推計や、ネットワーク改変による局地環境変化の予測といった部分的なものは存在するが、影響の波及効果までを含めた評価手法はいまだ存在していない。したがって、地球環境に配慮した交通施設整備を実施しようにも、その判断を行う方法が存在しないのが現状である。

 以上の背景を踏まえ、本研究では、都市交通システムの整備が地球環境負荷に及ぼす影響を定量的に把握し、もって各種交通政策による効果影響を評価する枠組を開発することを目的としている。論文の前半では地球環境負荷の評価概念と方法論を提示し、後半では実際例の評価分析を行う。なお本研究では、地球環境負荷を二酸化炭素排出量の側面から把握するものである。

 まず、単一交通施設を対象に、その整備による地球環境負荷変化の評価指標として「拡張ライフサイクル環境負荷」(Extended Life Cycle Environmental Load: ELCEL)の概念を提示している。この評価概念は、交通施設自体から生じる環境負荷を計測する手法として近年研究が進んでいるライフ・サイクル・アセスメント(LCA)の手法を、交通施設整備の波及効果全体の評価にまで拡張したものであり、以下の3つを考慮した指標である。

 1)交通にかかわる環境負荷として、a)交通施設供給(交通施設の建設・維持管理)に伴うもの、b)交通活動(交通施設の利用)によるもの、の2つを合計して評価すること
 2)交通施設の建設から供用、廃棄までのライフサイクル全体で累積評価すること
 3)交通施設建設に充当される資材・機械の製造にまでさかのぼった「内包環境負荷」で評価すること

 この、ELCEL概念を用いた評価方法は、既往の交通施設整備評価手法である費用便益分析とも相似の体系となる。

 次に、ELCELの推計対象範囲を、単一交通施設から、その集合体である都市交通システムに拡張する場合の考え方を提示している。その際には、都市交通の態様を規定する要因が、都市の成長とモータリゼーションの進展に伴う交通需要増大にあることに留意しなければならない。本研究ではこのメカニズムを「アーバン・ダイナミズム」と呼ぶ。これを考慮に入れた、都市交通施設投資の経年変化が交通のELCELに及ぼす影響の推計モデルとして、動学的マクロ経済モデルを基本とした、「持続可能な都市交通整備のためのライフサイクルアセスメント(ELASTIC: Environmental Life-cycle Assessment for Sustainable Transport Improvement of a City)モデル」を構築している。これはあたかも、都市のライフサイクルを人間の一生と同様に見なす方法であり、都市交通施設整備政策は食事習慣に、地球環境負荷の増加は成人病(生活習慣病)に例えて考えることができる。

 さらに、ここまでで開発した交通施設整備に伴う地球環境負荷評価の考え方を、具体的に単一交通施設と都市交通システムの実際例に適用し、その有用性を検証する。

 単一交通施設については、施設供給の環境負荷について既往のLCA研究の成果を援用し、「組み合わせ法」と呼ばれる手法を用いて推計する。さらに、施設の性能の違いや、施設整備の有無による交通活動の変化について予測することにより、交通活動の環境負荷を推計する。この方法を用いて、a)道路トンネルのルート、b)都市部の主要道路交差点の立体交差化、c)山間部の道路改良、の3つのケースについて、各種代替案に関してELCELの比較分析を行っている。その結果、都市部の交通施設整備では混雑緩和効果が大きく、環境負荷が削減される傾向があるのに対し、都市以外での交通施設整備では、需要誘発効果が大きいことや、交通施設供給の環境負荷が相対的に大きいことから、環境負荷はむしろ増大する傾向にあることが示唆される。

 次に、都市交通システムに関する地球環境負荷の実証分析にあたっては、まず、アーバン・ダイナミズムとそれに伴う交通活動の変化に関するメカニズムを把握する必要がある。中でも、交通活動の環境負荷発生増加の大部分は自動車交通量の増加によるため、モータリゼーション進展メカニズムの解明が重要である。そこで、過去に急速なアーバン・ダイナミズムを経験してきた日本の大都市の経年データを用いて、モータリゼーション進展と、それに交通施設整備が及ぼす影響の分析を詳細に行っている。

 モータリゼーションの進展は、@自動車保有水準の上昇、A交通手段としての自動車選択の増加、B自動車に依存したライフ・スタイルの浸透、C自動車依存型の都市構造への変化、という4段階に整理される。これらは基本的には所得水準の上昇による車保有可能性の増大によって進展するが、公共交通機関が整備されかつ密度の高い都市ではその速度が遅く、一方そうでない都市では、自動車利用増加と都市構造変化が互いに相乗効果をもって進んでいく「モータリゼーション・アクセラレーション」が生じる。これを予防する公共交通施設整備と土地利用規制の程度によって、都市のモータリゼーション進展が抑制され、交通活動の環境負荷が削減される程度を推計している。

 以上の分析結果に基づいて、先に構築した「ELASTICモデル」を、実証データを用いて詳細に定式化する。本研究では、都市内の立地関係を捨象したマクロモデルの採用により、モータリゼーションの進展を忠実に再現しながら、なるべく簡便でかつデータ制約による弊害の少ない推計手法の構築を図っている。モデルの外生変数としては、人口や経済レベルの経年変化、および政策変数としての交通施設投資水準を与える。モデル構成は以下のようになっている。

@交通施設供給モデル:政策変数である各年度の交通施設投資額から建設時の環境負荷を推計するとともに、投資の蓄積として交通施設整備水準(存在量)を推計し、さらに交通施設の維持管理時の環境負荷を推計する。
A自動車保有モデル:アーバン・ダイナミズムの中で最も交通活動とかかわりが深いモータリゼーションを規定する自動車保有水準を、所得水準と交通施設整備水準、都市構造指標から推計する。
B交通活動モデル:交通活動の要素である生成交通量、交通手段選択、トリップ長について、自動車保有層と非保有層に分けてモデル化し、さらにこれらのモデルを総合化して各交通手段の総走行台(車両)キロを推計する。
C交通活動環境負荷原単位モデル:道路整備によって混雑が緩和されると、燃費が向上し環境負荷発生原単位が改善される。この効果を計測するモデルとして、自動車平均走行速度を混雑の指標として用い、燃費をその関数で表すことによって、混雑の影響を定式化している。

 この「ELASTICモデル」を用いて、交通施設投資計画を地球環境負荷の観点から評価することが可能となる。具体的には、投資のレベルや、その各交通機関への投資配分内訳、更には、その経年的配分等についての検討が可能である。これによって、モータリゼーションの成熟期に入った先進国はもとより、今後経済発展により交通活動形態の革命的変化が予測される発展途上国の大都市においても、今後の交通社会資本整備政策に対する地球環境への配慮について示唆を与えることができる。

 具体的な分析例として、道路と鉄道に対し様々なレベルの投資比率を設定して感度分析を行っている。その結果、モータリゼーション進展下で交通施設投資を行う場合、最初には施設建設に伴う環境負荷が発生するものの、その後徐々に鉄道へのシフトや混雑緩和の効果が生じることにより、結果的に長期間のライフサイクル環境負荷が削減される効果を、定量的に推計することができる。よって、モータリゼーションの進展期において、交通施設整備財源の安定的確保が長期的な環境負荷削減にとって重要であることが結論づけられている。




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