加藤博和の「路線バスリサーチ」

第3回(追加) 岐阜市内バス再編問題 その後の後

First released: 05/08/20
Last updated: 05/09/06



関連リンク
岐阜市オムニバスタウン計画(岐阜市公式HP)
岐阜市オムニバスタウン計画及びバス路線再編計画への意見募集結果(岐阜市公式HP)
「岐阜市・岡山市をオムニバスタウンに指定」(国土交通省公式HP)
岐阜市「人と地球にやさしい公共交通利用促進特区」の内容(岐阜市公式HP)
岐阜市総合交通政策方針(案)(岐阜市公式HP)
岐阜駅周辺地区整備計画(岐阜市公式HP)

揖斐線・美濃町線・岐阜市内線等沿線市町対策協議会HP

揖斐線代替バス路線図 / 美濃町線代替バス路線図 (「岐阜バスのページ」提供)
岐阜バスHPでの代替バス案内



岐阜市内の公共交通は経営一元化したものの・・・

 2004年から05年にかけて、岐阜地区の公共交通は一大変革期を迎えました。以下1)〜3)の結果、05年度から、岐阜市内の公共交通はほぼ岐阜バスの1社運営に集約されることとなったのです。

1) 名古屋鉄道が撤退を表明していた600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)に対して岐阜市が04年7月に存続を断念し、05年3月末をもって廃止された。
2) 名古屋鉄道が自動車(バス)部門を04年10月に分社するにあたって、岐阜自動車営業所管内については岐阜乗合自動車(岐阜バス)に移管した。
3) 岐阜市交通事業部(市営バス)から岐阜バスへの路線委譲が05年4月をもって完了した。

 これらは、路線バスリサーチ第3回で岐阜都市圏の公共交通網が再編されるための条件として挙げたことですが、これを公表した01年の頃は、路面電車廃止やバス事業一元化は、関係者間でも現実的な課題としては扱われていなかったことを考えると、事態の急展開に驚くとともに、公共交通をめぐる情勢が激変しつつある典型と言えると思います。

 では、今後の岐阜地区の公共交通活性化の展望は明るくなったかと言えば、全くそうではありません。というのも、ここにたどりつくまでのプロセスがあまりに情けないものであり、その結果として、600V廃止代替バスの設定にも見られるように、05年度当初段階でのバス路線網が相変わらず以前の状況から改善されておらず、具体的な改善の動きも出てきていないからです。


600V線区存廃論議の何がまずかったか?

 バス事業が一元化となった最大の理由はあくまでも経営効率化でした。したがって、より重要なはずの、バス路線網のあり方に関する議論は全く不十分なままです。本来はこのタイミングで、十分な準備を岐阜バスと岐阜市との共同で進めることができれば、単なる経営一元化を超えて、05年度に岐阜地区のバス網を大きく改善することも可能であったはずです。

 ところが、それを行うべき時間が、残念ながら、600V線区の存廃論議に費やされてしまいました。特に、存廃問題のカギを握っていた岐阜市が結論を04年7月下旬まで延ばしたことは致命的でした。存続のためのありとあらゆる可能性をさぐっていたからと言えば聞こえはいいのですが、存続を結局断念し、しかもその段階で代替交通機関に関する具体案を持ち合わせていなかったことが事態を深刻にしました。

 ここで600V線区の件について深くコメントすることは避けます。状況に関しては関係各位と随時情報交換しながらウオッチを続けておりましたが、論議に積極的に関与することは自重いたしました。これは、私自身が存続賛成でなかったことも一因ではありますが、何と言っても、600V線区存廃論議においては「残すか否か」の一点に終始集中し、より根本的な問題である「岐阜地区の公共交通はどうあるべきか」に関する議論が突っ込んで行われることがなかったことが大きな理由です。マスコミのネタとしては面白かったのですが・・・。このことは、廃止後も継続している路面電車再生運動にも共通して言えることです。
 一方、関係者間の意思疎通がうまくいっていないこともずっと感じておりました。存続運動の中さえ組織化がほとんどできていませんでした。加えて、マスコミ報道が断片的で、事実誤認や曲解が多く見られたことが問題を複雑にしました。例えば、本来なら相手から直接連絡があるべきことが先に報道されたため、態度を硬化してしまい、そかもその報道内容は相手の真意でなかった、ということが頻繁に起きていたのです。
 以上のことから、問題が最後までこじれたわりには実りある議論が生まれなかったというのが私の印象です。なお、一連の経緯については、私の知る限りでは「鉄道ファン」04年10月号の記事が最も的確にまとめられていると思います。

 さて、岐阜の公共交通の動向で当面特に注意が必要な点として、岐阜バスがどの程度この激変に対応できるかということがあります。名鉄・市営バスからの路線授受に加え、600V線区代替バスの運行も担当したことによって、事業規模が急拡大し、運行体制の整備、中でも運転手や車両の確保が大きな課題となっているからです。
 名鉄バス・市営バスの運転手のほとんどは名鉄や岐阜市役所の別の部署に残るため、岐阜バスとして新たに運転手を確保する必要がありますが、バス運転手は全国的に不足していることから、確保は容易ではありません。さらに05年度には愛・地球博や花フェスタの輸送も重なり、最悪のタイミングとなりました。そのため、04年10月に移管された岐阜高富線では減便が行われた上、中型車が多く充当されたために混雑が問題となり、05年4月にも多くの路線で減便を余儀なくされました。05年に入って岐阜バスで事故等が相次いでいることも、この状況と無縁ではありません。残念ながら、よりよい公共交通を考える余裕がないどころか、安全・確実な運行の確保で手一杯というのが現状と言えます。


代替バスの検討過程と問題点

 05年4月から運行開始した代替バスにはたくさんの問題点がありますが、正直なところ、あまり批判はできません。というのも、04年秋から行われた沿線市町や岐阜バスによる代替交通の検討には、私自身も調整役として参画していたからです。「ここがおかしい」と言われても、なぜそれができなかったかをよく知っているだけに、つらい立場です。力不足をお詫びしないといけません。しかし、一時は4月からの運行は不可能かもしれないと思ったこともありましたので、個人的には「走っただけよかった」と思っております。

 04年9月始めの段階で、600V線区の05年3月末での(とりあえずの)廃止は、超法規的措置でもない限り確定しておりました。マスコミ報道では05年に入った段階でも、コネックス社による引受の可能性が論じられていましたが、現実にはコネックス社も06年度以降の引受を考えており(12月にコ社が開いた行政との意見交換会でその案も事実上頓挫してしまったのですが)、最低でも1年間は代替交通機関を運行する必要がありました。
 しかし、沿線市町は600V線区廃止後の(というか、廃止されない場合についてもですが)公共交通網に関する構想を持ち合わせていませんでした。また、存廃論議ではあれほどうるさかったマスコミも代替交通検討のニュースをほとんど取り上げることがなく、世論も喚起されませんでした。マスコミ報道だけを見ていた方には、むしろ、4月以降も電車は走るものだと誤解されていたのではないかと思います。

 代替交通検討に対して、路面電車存続運動の皆様が積極的に参加しないのは理解できますが、路面電車を引き受けようとする会社・団体等からの積極的な参加が全くないこと(案を出すことが、引き受けるための最低限の資格だと私は思いますが)や、沿線からの動きも活発でなかったことは納得がいきませんでした。このことからも、存廃論議においては結局のところ、公共交通網改善が意図されていなかったことは明らかだと思います。
 600V線区が廃止になるからといって、公共交通が全く不要となるわけではありません。むしろ、激変をどう緩和し、公共交通利用者を減らさない手だてを講じるかを検討し即刻実行することが必要です。ましてや、鉄軌道の復活を考えるのであれば当然関心を持つべきところではないでしょうか。なぜなら、いったん公共交通から離れた人々は、いくら後で便利な路線ができても、なかなか戻ってきてくれないからです。
 この地域の交通政策に大きな影響力を持つ方から「地元が動かないんだから、加藤さんが助ける必要はないよ。なくなってから公共交通の大切さに気付けばいいのだから。」と諭されたこともございました。しかし、私自身は、鉄軌道利用者の皆様が4月以降もなるべく困らないようにとの一心で代替交通検討に参加した次第です。

 代替交通検討も様々な紆余曲折がありました。具体的な経緯については、「土木計画学研究発表会」で発表した原稿にまとめてあります。この原稿は学術論文ということで、ページ制約もあり、最低限の事実しか書いておりませんが、実際に経験した驚きの事態や会議発言などについては、ここでも書けないような話がたくさんありました。
 検討にあたって、私自身、何度も現地調査を行い、いい案に落とし込むための「作戦」を考えていて徹夜してしまった日もありました。鉄道・バス利用状況はもちろん、道路状況や通学先等についても調査し、その他各種データも踏まえ、私案を何度も提示しましたが、思うようにいきませんでした。
 最大の理由は時間的制約、つまり、1)運行開始までの準備期間が極端に短いこと、2)そのため、事実上は代替交通を引き受けられるのが岐阜バス1社に限定されてしまったこと、3)先述のように岐阜バスがほとんど増車・増員できない状況にあったこと、そして、4)旧市営バス路線をはじめアンタッチャブルな路線が多数ある上に調整時間もなく、路線再編や本数調整(例えば、別の路線を減回あるいは経路変更し、そこから出てくる人員・車両を代替路線に回す)の自由度が低かったこと、です。

 ところが、岐阜バスが代替バスの運行を正式に表明し、路線検討を実際に開始した時期は何と04年12月(残り4カ月足らず!)にずれ込んでしまいました。この理由として、沿線市町が04年9月に作成した代替バス案(鉄軌道とほぼ完全並行・同一本数)について、運行希望事業者を11月末を締切として公募したことが挙げられます。岐阜バスは、沿線市町案のような大規模の代替バス運行はたとえ補助金があっても実施不可能であるとし、公募期間終了までは代替バス路線提案をしないという態度をとったのです。これは確かにその通りでしたが、同時に、この時期はコネックス社の動きも不透明であったため、岐阜バスとしても模様眺めせざるを得なかったと言えます。もし05年4月以降に600V線区が存続することになれば、岐阜バスとしては投資がムダとなるからです。
 いずれにせよ、代替交通の検討期間がせめて1年あれば(つまり、1年前に600V線区廃止が確定していれば、ということになりますが)、もう少しいい路線にできたと思うのですが、結果的にはここまでで精一杯でした。

 なお、当方が当初提案していた代替交通案のうち、実現できなかった主なものについて、以下に列挙しておきます。

<旧揖斐線関連>
 ・岐阜駅〜大野町役場(バスセンター)間直行路線は30分ヘッドとし、岐阜市内では停車停留所を絞った急行運行として、鉄道の運行時分(45分)を下回ることを目指す。
  また、1時間ヘッドで揖斐川町の県揖斐総合庁舎まで運行し、名阪近鉄バス揖斐黒野線を吸収(相互乗り入れ?)する(本巣方面→揖斐高校<本揖斐>や大野西部・揖斐川→本巣市内高校への通学、揖斐川〜リバーサイドモールの需要にも配慮)。
 ・政田忠節線はリバーサイドモール行きでなく、糸貫分庁舎(通学時は岐阜高専)行きとする(つまり糸貫忠節線)。こうすると本巣松陽高校や岐阜第一高校(高砂町)もカバーできる。
  糸貫分庁舎付近は「もとバス」以外の公共交通がなく、新規需要を掘り起こせる。また、2006年4月頃オープン予定の「美濃メガモール」(樽見鉄道も新駅設置予定)にも結節可能。
 ・真桑・政田付近には大縄場大橋経由の路線(普通便)をあててカバーする。この路線を市立女子短大経由とし、大野系統(急行便)は経由させないことで時間短縮を図る。
 ・北方町内は、全路線を北方円鏡寺前・北方百年記念通り経由に統一して分かりやすくする。
 ・北方円鏡寺線を、現行のサンブリッジ北方・県営北方団地・北方一本松経由から、柱本東・北方円鏡寺前・北方百年記念通り・北方栄町経由に改め、他線と方向をそろえることで、代替バスの一端を担わせる。
 ・リバーサイドモール、北方百年記念通り、忠節にはバスの駅機能を設け、カード・定期券での乗り継ぎには通し運賃を適用する。
 ・曽我屋線・加納南線・西郷線を整理して、総運行本数を減らしつつサービス水準を向上させる。

<旧美濃町線関連>
 ・1本/時を増便し、これについては新関もしくはせき東山から関市役所に路線延長する。
 ・関駅西口での長良川鉄道との結節をはかる(接続できる便のみ)。
 ・朝夕の増発便を中心に急行バスを新設する。

 実現した最終案は、当初沿線市町が提案していた、ほぼ完全並行・同一本数の代替バス路線案と、名鉄や岐阜バスが提案していた、既存路線活用をベースとする案、そして私が提案していた大幅な路線再編案の中間的なものとなりました。前述の事情から、十分な本数が確保できず激しい混雑に見舞われたり、揖斐線沿線では系統が複雑になってしまったことなど大きなマイナス点もありますが、深刻な問題は生じなかったのが救いです。代替バス転換による乗客逸走の割合は、当初予想された7割よりはかなり良く、5割以下にとどまっている模様です。

 運賃の値上がりも懸念されましたが、これも多くの区間では致命的とはなっていないと言えます。もともと岐阜バスの真正北方大縄場線(「路線バスリサーチ第2回」参照)は揖斐線に運賃を合わせており、大野バスセンター延長にあたってもそれを踏襲しました。本来の岐阜バスの運賃だと新岐阜〜大野バスセンターは780円となるところが、鉄道時代と同じ510円となりました。00年4月の真正北方大縄場線開業当時、岐阜バスの方に運賃設定のことを聞くと「この設定なら揖斐線がなくなっても代替バスとして使える」と冗談めかしておられましたが、5年後に現実になるとはその時には思いもしませんでした。また、新たに割安な平日定期券を(代替バス区間だけでなく岐阜バス全線を対象に)発行し、もちろんバスカードも使える(特に通学カードは割引率が全国的に見ても高い)こと、また、2001年4月の名鉄4線区廃止の時のような末端区間廃止でないことから、乗り継ぎによって大幅な運賃増となることがないなど、様々な要因によって運賃負担増加が抑えられていますが、特に忠節乗降の場合や旧美濃町線沿線では大幅値上げとなっているところもあり、精査が必要と言えます。

 ともかく、代替バスの設定が不十分なことは事実であり、大切なのは今後できるだけ速やかに見直しを行っていくことです。私も05年5月に、沿線市町と岐阜バスに別表(揖斐線分 / 美濃町線分)のような改善必要項目を提示しました。また、地元住民からの要望や改善活動もようやく起こりつつあるようです。10月改正などでどの程度反映されるか気になるところです。


今後、何をするべきか?

 さて、岐阜市としては、路面電車の廃止は容認したものの、公共交通を軽視したということではなく、岐阜市にとってはバス中心の公共交通網が当面は最適であるという判断(これは私の憶測ですが)のもとに、公共交通網に関する様々な検討を進めています。04年度から始まった「市民交通会議」を契機として、「人と地球にやさしい公共交通利用促進特区」の認定(05年3月)、「総合交通政策方針(案)」の作成(05年7月)が立て続けに行われ、05年度中には新たなバス路線再編案を提案することが予定されています。また、「オムニバスタウン計画」も06年度に最終年度となることから、LED方向幕への切り替えが進むとともに、東海地方の先頭を切ってICカード導入が行われる見込みです。

 また、この検討においては、07年頃に供用開始予定のJR岐阜駅前の新しいバスターミナル(15バースを予定)の使用方法も念頭に置く必要があります。これによって今までの分散ターミナルが解消されるのは望ましいのですが、一方で、05年12月の新岐阜百貨店閉店後、それと一体構造となっている新岐阜バスセンターが使用不能となり、06年中は岐阜駅付近のバス乗り場が混乱せざるを得ないことが、現場サイドでは頭の痛い問題となります。(そもそも、岐阜バス本社も移転を余儀なくされます。岐阜バスも全くもって「一難去ってまた一難」です。)

 01年に書いた路線バスリサーチ第3回では、今後必要なこととして
  第1ステップ:案内システムの根本的見直し
  第2ステップ:系統の(短縮化を伴わない)単純化
  第3ステップ:新岐阜・JR岐阜駅周辺のバスターミナル整備
を挙げておりました。これは、今でも全く変わっていないと言えます。ただし、この順番についてはかなり流動的であり、状況に応じて臨機応変に実施する必要があります。すなわち、短期的には
  「住民や移動者の顕在・潜在ニーズを把握しつつ」
  「クルマに対して競争力の高い公共交通網を設計し」
  「初心者にも分かりやすく使いやすい路線コンテンツと料金を設定し」
  「岐阜駅バスターミナル、および幹線区間の乗り場設定や公共交通案内システムをそれにふさわしいものに作り上げる」
ことが求められます。

 さらに付記すれば、多くの系統が通る主要幹線について、重点的にバス優先施策や停留所・バスロケ整備を実施して「バス通り」イメージを作り上げることで、近年、発展途上国を中心に急速に広まりつつあるBRT(Bus Rapid Transit)システムに近い状況を実現していくことが、中期的な目標として適当だと考えます。これは、2000年に岐阜市が策定したバス路線再編計画における「幹線と支線の分化」とは全く異なり、バスのメリットである直行性と岐阜都市圏の郊外化進展状況とを考慮したシステムです。長期的には、土地利用コントロールと幹線路線の利便性向上によって、郊外部から幹線路線沿線への立地回帰が生じ、BRTで運びきれないほど需要が出れば、LRTに移行することも考えられるでしょう。このような「短期」「中期」「長期」の戦略がうまくつながっていくような、公共交通施策群の「ロードマップ」を練り上げなければなりません。
 長期構想だけ語っていても夢物語に過ぎません。そこまで持っていくためには、短期的な、かつ緻密な取り組みの積み上げこそが求められていると思います。岐阜の公共交通にはこれがまだまだ欠けているというのが私の印象です。



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